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ギュスターヴ・ゼデ (潜水艦) : ミニ英和和英辞書
ギュスターヴ・ゼデ (潜水艦)[かん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
潜水 : [せんすい]
  1. (n,vs) diving 
潜水艦 : [せんすいかん]
 【名詞】 1. submarine 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

ギュスターヴ・ゼデ (潜水艦) : ウィキペディア日本語版
ギュスターヴ・ゼデ (潜水艦)[かん]

ギュスターヴ・ゼデ(Gustave Zédé)は、世界最初の潜水艦の一つ。1893年にツーロンで進水したが、その後長期間の試験と改造が行われ、フランス海軍艦艇として正式に就役したのは1900年5月であった。ギュスターヴ・ゼデは水上艦に対する水中からの魚雷攻撃を最初に成功させた潜水艦である。
1890年10月4日に、シレーヌ(''Sirène'')の艦名で発注されたが、1891年に設計者であるギュスターヴ・ゼデが魚雷試験中の爆発で死亡すると、彼の名前が艦名とされた。本艦は先行した小型のジムノートに次いで開発された。両艦とも、蓄電池を利用する電気モーターで推進した。
== 開発 ==
フランス海軍は、数的に優位なイギリス海軍に対抗するため、通常とは異なるアプローチを取ることに興味を持っており、戦艦に対抗するため、水雷水雷艇を早くから採用していた(ジューヌ・エコール思想)。このプログラムの一環として、フランスは敵に探知されることなく魚雷の射程に近づくことができる潜水艦に興味を持っていた。ギュスターヴ・ゼデはフランス海軍が開発した、2隻目の実験的な潜水艦である〔Lambert p.24-27〕。
1898年12月、ギュスターヴ・ゼデはフランソワ・フォルニエ(François Fournier)提督が指揮を執る地中海艦隊の演習に参加した。そこで2回に渡り、砲術訓練艦マジェンタに対する攻撃を成功させた。一度は投錨中であり、もう一度はツーロンからイエール諸島(isles d'Hyères)に向けて航行中であった。ギュスターヴ・ゼデはMottez大尉によって指揮されていたが、これは水中の潜水艦から水上艦艇への魚雷攻撃が成功した最初の例として、広く認められている〔Lambert p.27-28〕。
イギリス海軍の駐在武官の報告によると、速度10ノットでマジェンタに接近するギュスターヴ・ゼデが視認されており、距離3、500ヤードの時点では4人がブリッジにいた。艦は直後に潜水を始め、司令塔のみが水上に見えた。1,500ヤードで司令塔も水中に没したが、スクリューの航跡はまだ確認できた。450ヤードで、標的との距離および方位確認のために一旦浮上し、再び潜行して距離270ヤードで魚雷を発射し、マジェンダの中央に命中させた。その後ギュスターヴ・ゼデはマジェンダの艦底を通過し、反対側に浮上した〔Compton-Hall p.118-119〕。
演習は、1899年にフランス海軍大臣と招待されたジャーナリストの前で再度実施された。ここでも演習は成功し、潜水艦の追加予算が認められることとなった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ギュスターヴ・ゼデ (潜水艦)」の詳細全文を読む




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